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東京地方裁判所 平成7年(ワ)20904号 判決 2000年3月09日

別紙一「当事者目録」記載のとおり

主文

一  被告らは、別紙二「請求額一覧表」記載の原告らそれぞれに対し、連帯して、各原告に対応する同表金額欄記載の各金員及びこれに対する平成七年三月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨。

第二事案の概要

本件は、平成七年三月二〇日に発生した、いわゆる地下鉄サリン事件(以下「本件事件」ともいう。)によって、被害を被った被害者ないしはその親族である原告らが、右事件は、宗教法人オウム真理教(以下「教団」という。)の教祖であったB山松夫ことA野太郎(以下「A野」という。)の指示のもと、亡C川竹夫(以下「C川」という。)、D原梅夫(以下「D原」という。)、E田春夫(以下「E田」という。)、A田夏夫(以下「A田」という。)、B野秋夫、C山冬夫(以下「C山」という。)、D川一郎及びE原二郎(以下「E原」という)と被告らによって、組織的に計画・立案され、サリンの製造グループ、サリン発散の実行グループ、そのための送迎・見張りグループに分かれ、その密接な連携のもと行われたものであると主張して、被告らに対し、共同不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。

なお、本件訴えが提起された当初は、本件の被告ら七名に加え、教団のほか、A野、D原、E田、A田、B野秋夫、C山、D川一郎及びE原の八名も共同被告とされていた(但し、丙事件については教団は除く。)が、C山及びE田は請求を認諾している。そして、教団については、甲、乙事件の訴え提起後破産宣告がなされ、破産管財人が訴訟手続を受継し、原告A川花子ほか三名については、請求債権が破産裁判所での債権調査期日で異議なく確定したことにより訴訟は当然に終了し、さらにその余の原告らとの間では、平成九年一二月二五日、破産債権を有することを確認する和解が成立している(なお、原告A川花子ほか三名及び同B原松子ほか三名は、利害関係人として右和解に参加している。)。また、A野、D原、A田、B野秋夫、D川一郎及びE野の六名については、甲、乙及び丙事件のいずれについても、原告らの請求をすべて認容する欠席判決が確定している。

第三当事者の主張等

一  原告らの主張

原告らの主張は、別紙三「原告らの主張」記載のとおりである。

二  被告らの主張等

被告C田三郎(以下「被告C田」という。)、被告D野四郎(以下「被告D野」という。)及び被告E山五郎(以下「被告E山」という。)の主張は、別紙五「被告らの主張」記載のとおりである。

なお、被告A山六郎(以下「被告A山」という。)、被告B川七郎(以下「被告B川」という。)及び被告C原八郎(以下「被告C原」という。)については、いずれも、本件口頭弁論期日に出頭しないが、原告らの主張を争う趣旨の書面を提出しているので、弁論の全趣旨により、原告らの主張事実を争ったものと認める。

また、被告D田九郎(以下「被告D田」という。)は、公示送達による適式の呼出しを受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。

第四当裁判所の認定した事実

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

なお、本件においては、原告らの文書送付嘱託の申立てに基づき、東京地方検察庁から取り寄せた右刑事確定記録中の公判調書、検面調書、実況見聞調書等については、送付嘱託の際に個々の調書等を特定して申立てがなされていることから、送付嘱託書類が弁論期日等において提示された時点でこれらの書証が証拠として提出されたものとして扱った。

一  教団の武装化

1(一)  A野は、宗教法人であった教団の教祖であったが、平成二年二月に同人を含めた教団の信者らが衆議院議員選挙に立候補し全員落選したころを境に教団の武装化を進めるようになり、山梨県上九一色村を拠点として、教団の信者らに指示して毒ガス、細菌兵器、自動小銃の製造等を行わせるようになった。平成六年ころには、教団は、信者の被告C原、A田、被告E山を中心に、猛毒の神経ガスであるサリンの製造に成功するに至った。

(二) サリンは、呼吸器や結膜などの粘膜や皮膚から体内に吸収されると、神経系を侵し、筋肉の動きを妨げ、呼吸筋の運動を阻害することにより、脳を低酸素状態にして死の結果をもたらす神経ガスである。サリンは、常温・常圧では液体であるが、揮発性が高くガス化し易い性質を有する。

2  A野は、折に触れて、説法などによって、サリンが極めて強い殺傷力を有する毒ガスであることを教団の信者らに周知していた。

3  A野は、平成六年六月ころには、教団内に「大蔵省」「科学技術省」「法務省」などの国家を模した組織を作り上げ、有力な信者らを右「省庁」の「大臣」に任命するなどして教団の組織を強化した。

二  A野の教義

A野は、教団内において、世俗の道徳、倫理、法律を破る行為であっても、「グル」であるA野の指示命令であるならば、それを行い命令を実現することが救済に役立つ行いになり、功徳を積むことになるとの教義を説くようになった。ひいては、A野は、人を殺害する行為であっても、その者が悪業を積んで地獄に行く前に、A野の弟子達がA野の指示に従ってその者を殺害することは、その者に慈愛を施すことであって、A野やその弟子達も功徳を積むことになるなどとして、殺人をも正当化する教義を説くようになった(このようなA野の教義においては、殺人も「ポア」と称して救済の一環であるとされていた。)。

三  サリン撒布の謀議

1  「織華」における食事会

平成七年三月一八日午前一時ころ、東京都杉並区にある教団経営の飲食店「織華」において、新たに教団内において「正悟師」の地位に昇格することとなった信者の祝いの食事会が催され、A野のほかC川、E野十郎(以下「E野」という。)、A原一男(以下「A原」という。)、被告C田らの教団信者が参加した。右食事会の席上、A野は、被告C田に対し、近々警察が教団施設に強制捜査を実施する可能性が高いことを示唆した。

当時、教団は、平成六年六月二七日に長野県松本市で発生した、サリンによる無差別殺人事件(いわゆる松本サリン事件)に関し、平成七年一月一日付け読売新聞に上九一色村でサリン残留物が発見されたとの記事が掲載されるなど、同事件への関与が疑われるようになっていた。また、平成七年二月にB田二男が拉致された事件についても、教団の関与が疑われるに至っていた。

2  リムジン車中における謀議

平成七年三月一八日午前二時過ぎ、食事会が終了し、参加者達は上九一色村へ向かうこととなり、A野、被告C田、E野、C川、被告C原及びA原が一台のリムジンに同乗して上九一色村へと向かった。

右リムジンの車中で、A野は、同乗していた信者と、警察による強制捜査を回避する方策について話し合っていたが、その際、C川が地下鉄にサリンを撒布することを提案した。A野は、被告C田に対し、C川の発案の可否を尋ねたところ、被告C田はサリンではなく硫酸を撒くのがよいのではないかとの意見を述べた。これに対し、A野は、サリン以外では駄目だと述べ、サリン撒布の総指揮役としてC川を指名した。

C川は、A野の指示を承諾し、実際に地下鉄車内でサリンの撒布役を担当する者(以下「実行役」という。)として、新たに正悟師となる教団信者のD原、D川一郎、E田及び被告B川の名を挙げた。これに対し、A野は、教団信者のB野秋夫も実行役に加えるようC川に指示した。

また、A野は、当時教団内でサリンの製造に携わっていた被告C原に対し、犯行に必要となるサリンの製造が可能であるか否かを尋ねるなどした。

四  犯行準備

1  C川による指示

(一) A野からサリン撒布の総指揮役を命じられたC川は、平成七年三月一八日午前、第六サティアンの自室において、D川一郎、E田、B野秋夫及び被告B川に対し、近く警察による教団の強制捜査があるので警察の目を逸らして矛先を変えるため、地下鉄にサリンを撒くよう要請した。その際、C川は、地下鉄にサリンを撒くことはA野からの指示であることを示唆した。これに対し、右D川一郎ら四名の信者らが承諾すると、C川は、サリンの撒布方法につき、密閉した空間で実行しないとあまり効果が出ないから地下鉄の車内に撒くこと、決行は平成七年三月二〇日の朝の通勤時間帯とすることなどの計画の概要を明らかにした。

そして、C川は、地下鉄路線図を右信者らに示しながら、目標は霞が関であること、霞ケ関駅を通る路線に実行役が乗車してサリンを撒布することを指示した。また、C川は、各信者の役割分担についても述べ、被告C田が地下鉄の時刻の調査、車の調達、D川一郎は被告C田との連絡役、B野秋夫はサリン解毒剤の準備、E田及び被告B川は地下鉄の路線図及び道路地図の用意、サリンを撒く容器の準備を担当するよう指示した。

続いて、C川は、右信者らに対し、サリンの撒布方法について、A野から地下鉄にサリンを撒布するよう指示を受けた際に右手を上げて上下に振るような動作で撒くことを提案したところA野から、そのようなことをすれば自分達がサリンの影響を受けてしまうなどと言われ叱責されたことを述べた。また、C川は、平成七年三月一五日にアタッシュケースに噴霧器を仕込んで細菌兵器であるボツリヌストキシンを撒布しようとしたがうまくいかなかったことに触れたうえ、A野の発案として、サリンをプラスチック容器に入れておき、その蓋を開けて車内にサリンをこぼす方法を紹介した。C川は、右信者らに対し、A野の発案に従ってプラスチック容器を作成してみるが、他に適当な方法があれば考えるようにと述べ、サリン撒布の実行役らも撒布方法について検討するよう指示した。

(二) 一方、C川は、同月一八日午前七時ころ、被告C田に対し、「科学技術省」のメンバーがサリンを撒布するから、被告C田はその前にC野三男宅に爆弾を仕掛け、青山総本部道場に火炎瓶を投げるよう指示し(以下、C野宅に対して爆弾を仕掛ける事件を「爆弾事件」、青山総本部道場に火炎瓶を投げる事件を「火炎瓶事件」という。)、爆弾と火炎瓶を翌一九日の昼に取りに来るよう要請した。

(三) C川は、右同日夜、第六サティアンの自室において、D原に対し、地下鉄にサリンを撒くよう指示し、被告C田やD川一郎、B野秋夫、E田、被告B川らと連絡を取って行動するよう指示した。

2  信者らによる犯行準備

(一) C川からサリン撒布の指示を受けたE田及び被告B川は、平成七年三月一八日午前一一時過ぎ、C川から購入するよう指示された物件を購入するため、富士市へと赴き、地下鉄の路線図、道路地図、白色の広口瓶、カッター、ヨーグルトの容器等を購入した。

(二) 一方、右同日午後、被告C田、B野秋夫及びD川一郎は、第六サティアンの一室でサリンの撒布方法について議論をした。

(三) 右同日午後五時ころ、被告C田及びD川一郎がC川の自室に入室すると、そこには買い物を終えたE田と被告B川が購入物件をC川に示すためC川の自室を訪れていた。E田と被告B川が購入した地下鉄路線図を目にした被告C田は、C川の自室にいた信者らに対し、地下鉄の各駅の乗降者数が記載された所携の書籍を示した。そして、C川と被告C田は、サリン撒布の決行時刻について相談し、地下鉄の乗降客数が最も多い時間を狙って犯行を実行するため、午前八時に決行することに決定した。

(四) C田は、サリンを入れる容器について、同人が所持していた白色ポリエチレン性の広口瓶を使用することを考え、E田と被告B川に対し、サリンを徐々に撒布できるように、容器に開ける穴の大きさを調節して実験するよう指示した。

(五) C川から右実験指示を受けたE田と被告B川は、第六サティアンの被告B川の自室において、サリンを入れる容器の実験をした。実験の結果、容器の底に空気穴を開けることでサリンが適当な速度で漏出することが確認された。右同日午後七時過ぎころまでには、D原、D川一郎も被告B川の自室を訪れ、これにE田、被告B川を加えた四名の信者らがサリンを入れる容器について相談した。

その後、E田は、C川に対し、サリンを入れる容器の実験結果について報告するとともに、白色ポリエチレン性の容器では人目に付くため、より目立たない容器を探してみる旨述べた。

3  杉並アジトにおける謀議

(一) 平成七年三月一九日午前九時ころ、E田、D川一郎、D原、被告B川、被告A山、D山四男及びE川五男は、上九一色村を出発して、教団信者らが居住していた東京都杉並区《番地省略》所在の民家(以下「杉並アジト」という。)へと向かった。

同日午前一一時ころ、右信者らは、杉並アジトに到着し、D川一郎を中心にサリン撒布の担当路線について打合せをした。その結果、D川一郎及び被告D原が日比谷線、E田及び被告B川が丸ノ内線、B野秋夫が千代田線を担当することになった。

(二) また、この際、あわせて乗降駅、実行役を駅まで送迎する者(以下「運転手役」という。)、実行役と運転手役の組合せ、地下鉄に乗車する時刻も決定された。

4  A野による指名

(一) 平成七年三月一九日午後一時ころ、被告C田は、C川に誘われ、同人とともに、第六サティアンにあるA野の自室へと赴いた。A野は、C川と被告C田に対し、お前達はやる気がないようだから今回はやめにしようかと述べ、C川については地下鉄へのサリン撒布について、被告C田については爆弾事件と火炎瓶事件について、両名を叱責した。被告C田は、A野の指示に従う旨述べ、C川も教団信者らがやる気である旨返答した。これに対し、A野は、「じゃ、お前達に任せる。」旨述べた。

そこで、C川は、A野に対し、地下鉄にサリンを撒布するに当たって、運転手役を誰にするかにつきA野の意見を求めたところ、A野は、教団信者であるC山、被告A山、被告D野、E原及び被告D田の五名を挙げた。さらにC川は、実行役と運転手役の組合せについてA野に尋ねたところ、A野は、D川一郎と被告A山、D原と被告D田、E田とE原、被告B川と被告D野、B野秋夫とC山を組み合せるよう指示した。

(二) A野の部屋を出た後、C川と被告C田は、手分けして実行役と運転手役の組合せを伝えることとなった。C川は、被告C田に対し、東京に信者らが集合する場所があるか否かについて尋ねたところ、被告C田は、東京都渋谷区所在のマンション「E沢ホームズ」四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)がある旨返答した。C川は、被告C田に対し、地下鉄にサリンを撒布するための拠点として渋谷アジトを使用するとの方針を伝え、東京ナンバーの自動車を五台用意するよう指示した。

被告C田は、C川の指示で、A原から、爆弾事件と火炎瓶事件についての犯行声明文を受け取り、その後に、C川から爆弾と火炎瓶を受け取り、杉並アジトへと向かった。

5  杉並アジトから渋谷アジトへ

(一) 平成七年三月一九日午後一時ころ、杉並アジトに集合していたD川一郎、D原、E田、被告B川、E川、被告A山及びD山は、新宿へと赴き、犯行時に変装するための衣類等を購入した。その後、E田、被告A山、被告B川及びD山は丸ノ内線の四ツ谷駅、御茶ノ水駅等の下見をし、そのうえで右七名の信者らは、同日午後七時ころまでに順次杉並アジトへと戻った。また、そのころ、被告D田も杉並アジトへと到着した。

(二) 右同日午後七時ころ、被告C田が杉並アジトに到着した。被告C田は、杉並アジトにいた信者らに対し、運転手役として、A野から告げられていた被告A山、被告D田、E原、被告D野及びC山の名を告げ、あわせて渋谷アジトに移動するよう指示した。そのため、杉並アジトにいた信者らは渋谷アジトへと移動した。

(三) 一方、被告C田は、杉並アジトにおいて信者に指示をした後、C野宅に爆弾を仕掛けるため、教団信者らとともに杉並アジトを出発した。被告C田は、C野が居住していたマンションの出入口の隅に爆弾をセットし、爆発させ、教団信者が声明文を右マンションのポストに投函した。爆弾事件を成功させた被告C田は、杉並アジトに一旦戻った後、続いて青山総本部道場に赴き、教団信者が同道場に火炎瓶を投げ込み、声明文を置き去った。爆弾事件及び火炎瓶事件を遂行した被告C田は、渋谷アジトへと向かった。

6  渋谷アジトにおける謀議

(一) 平成七年三月一九日午後八時ころ、D川一郎、D原、E田、被告B川、被告A山及び被告D田は、渋谷アジトに到着した。右六名に加え、同日午後九時ころまでに、被告D野、E原、C山、B野秋夫及び被告C田が順次渋谷アジトに集合した。

(二) 被告C田は、渋谷アジトに集合した右信者らに対し、A野から指示を受けたとおり実行役と運転手役の組合せを伝達した。その結果、実行役、担当路線、運転手役、実行役と運転手役の組合せは、最終的に以下のとおりと決定された。

実行役 運転手役 担当路線

D川一郎 被告A山 日比谷線

D原 被告D田 日比谷線

E田 E原 丸ノ内線

被告B川 被告D野 丸ノ内線

B野秋夫 C山 千代田線

続いて、実行役の信者らは、被告C田が持参した地下鉄の路線図などを参照しながら、乗降駅、乗車する車両の位置等犯行の具体的内容について打合せをした。その際、どの路線ならどの車両に乗ってサリンを撒くのが、官庁街に行く人を狙うには効果的かという話をした。

右時点で、被告C田は、実行役を送迎する自動車を既に三台手配していたが、実行に必要な残り二台の自動車は手配していなかったため、C山、被告A山及びD川一郎と相談したうえ、教団信者から借用して手配する手筈を整えた。

(三) 右同日午後一〇時ころ、実行役と運転手役の信者らは、渋谷アジトを出発し、丸ノ内線御茶ノ水駅、千代田線新御茶ノ水駅等の下見をしたうえで、翌二〇日午前零時ころまでに順次再び渋谷アジトへと戻った。

7  サリンの生成

平成七年三月一八日、C川は、被告E山に対し、地下鉄で使用することを説明したうえ、サリンを生成するよう指示した。その後、被告E山は、被告C原にサリンの原料であるメチルホスホン酸ジフロライドの入った容器を手渡した。一方、そのころ、A野は、被告C原に対し、サリンを生成するように命じ、同月一九日昼ころには、当日中にサリンを作るよう督促した。

これらの指示を受けて、被告C原及び同E山は、A田の指導のもと、必要な器具や材料となる薬品等を集め、被告C原の研究棟である「ジーヴァカ棟」において、同日夕方ころからサリンの生成を開始し、教団の信者にも手伝わせて、サリンの生成を行い、同日夜中ころまでには、透明な部分と茶色の部分の二層に分かれて、それぞれにサリン及びサリン以外の不純物を含有する混合液を生成した。そして、被告C原及び同E山は、C川の指示により、サリンの混合液をろ過したうえ、これをあらかじめ用意しておいた二〇センチメートル四方くらいのビニール袋に注入し、注ぎ口を圧着機で封をして、約六〇〇ミリリットルの液体化したサリンの入ったビニール袋を一一袋作った。

8  サリン撒布練習

(一) 被告C田は、爆弾事件及び火炎瓶事件についてA野に報告するため、平成七年三月二〇日午前零時ころ、渋谷アジトを出発し、同日午前二時ころ、上九一色村に到着した。被告C田は、第六サティアンにあるA野の自室へ赴き、右両事件について報告した。

そこに、C川が訪れたため、A野は、被告C田に対し、サリンはすべてC川に任せておくよう述べ、C川に対しては、気合いを入れないと失敗するぞと叱責した。

そのころ、被告C原が前記ビニール袋一一袋の入った段ボール箱を持ってA野の自室を訪れ、A野に、右段ボール箱の中にサリンが入っていることを示した。A野は、被告C原が抱えていた段ボール箱の下に手を触れて瞑想をし、サリンに宗教上の意味合いを持たせる「修法」と称する儀式を行った。

(二) A野の自室を出たC川は、被告C田に対し、ビニール傘をできるだけ多く購入するよう指示した。そこで、被告C田は、コンビニエンスストアで七、八本のビニール傘を購入し、これを第七サティアンにおいてC川に引き渡した。C川は、信者に指示して、これらの傘の先端の金具部分をグラインダーで斜めに削って先を尖らせた。

(三) 一方、実行役であるD川一郎、D原、E田、被告B川、B野秋夫及び運転手役である被告A山、被告D野は、C川からサリンを上九一色村まで取りに来るよう電話で指示されていたため、右同日午前二時ころ、渋谷アジトを出発して上九一色村へと向かい、同日午前三時ころ、上九一色村の第七サティアンに到着した。

第七サティアンの一室において、C川は、右五名の実行役の信者らに対し、サリンは二重構造になった袋に封入されていることを述べ、練習用に水の入った袋があるのでそれを傘で突いてサリンを撒布する練習をするよう指示した。C川の指示を受け、B野秋夫を除く実行役の信者らは、第七サティアンに用意された先端が鋭く削られた傘を用いて、水の入ったビニール袋を突き刺す練習をした。C川は、サリンを撒布する際には外袋を外すこと、サリンの入った袋には指紋や体液をつけないこと、サリンの入った袋は新聞紙で包んで突き刺すこと、サリン入りの袋を突き刺した後の傘は水で洗うこと、犯行に用いた傘は持ち帰ることなど、実行役の信者らに対し、実行に当たっての詳細な注意をした。

第七サティアンには、前記のとおり一袋につき約六〇〇ミリリットルの液体化したサリン入りの袋が一一袋用意されていたため、C川が、一人の実行役については撒布するサリンの袋が一袋多くなるが誰かやらないかともちかけたところ、D川一郎がこれを承諾した。その結果、実行役の信者のうちD川一郎が三袋、その余の者が二袋ずつを撒布することになった。

その後、C川あるいはそのころまでに第七サティアンに来ていた被告C原から各実行役の信者らに対し、銀紙に包まれたサリンの解毒剤が配布され、実行する二時間前に服用するよう指示がなされた。E田は、他の実行役にハンカチを配り、サリンが漏れたときはあらかじめ水に濡らしたハンカチを口に当てて逃げればよいのではないかと述べた。C川は、D原に対し、被告C原、A田及び被告E山が製造したサリンを交付し、D原がサリンを、各実行役が傘を持って渋谷アジトへと向かった。

9  犯行直前の状況

(一) 平成七年三月二〇日午前五時半ころ、右五名の実行役の信者ら及び被告A山、被告D野は渋谷アジトへと到着した。

実行役の信者らは、犯行に備え、服装を着替え、かつらをかぶるなどして変装し、あるいはサリンの解毒剤を服用するなどした。また、実行役の信者らは渋谷アジトに搬送されたサリン入りのビニール袋をそれぞれ受け取った。B野秋夫は、実行役の信者らに対し、サリンの解毒剤が入った注射器を配布し、中毒症状が出たら筋肉に注射をするよう指示した。

(二) 右同日午前六時ころ、D川一郎、被告A山、D原、被告D田、E田、E原、被告B川、被告D野、B野秋夫及びC山は順次渋谷アジトを立ち、各々が担当する地下鉄路線の駅へと向かった。

五  サリン撒布

1  地下鉄日比谷線北千住駅発中目黒駅行き列車関係

(一) D川一郎は、平成七年三月二〇日午前六時二〇分ころ、被告A山運転の自動車に乗車して地下鉄日比谷線上野駅に向かった。途中、被告A山は、コンビニエンスストアで新聞、ハサミ等を購入し、D川一郎は、同車内において、サリン入リビニール袋三袋のうち、内袋からサリンが漏れていないものについては、外袋をハサミで切って取り除いたうえ、サリンの入った袋三袋を重ね、それを新聞紙で包んだ。

D川一郎は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線上野駅出入口付近で被告A山運転の右自動車から降り、サリン入りビニール袋三袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅に入った。その後、D川一郎は、北千住駅午前七時四六分発八両編成の中目黒駅行きA七二〇S列車に乗車し、同日午前八時ころ、秋葉原駅に到着するまでの間に、同列車の第三車両の床に、サリン入りビニール袋三袋を入れた新聞包みを置いたうえ、それを所携のビニール傘の先で多数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、同駅で同列車から降りた。

(二) D川一郎によって新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋三袋が置かれた中目黒駅行きA七二〇S列車は、右同日午前八時ころ、地下鉄日比谷線秋葉原駅を発車し、同日午前八時二分ころ、小伝馬町駅に到着した。その間、穴の開いた右ビニール袋からサリンが漏出し、車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がって刺激臭を発したため、小伝馬町駅到着後、同車両の男性の乗客が、同車両内からサリン入りビニール袋三袋が入った新聞紙の包みを同駅ホーム上に蹴り出し、それを同ホーム上の支柱付近に寄せたが、サリン中毒により、同支柱付近の同ホーム上に乗客男女各一名が倒れた。同駅にサリン入りビニール袋が放置された結果、同駅ホームにサリンが充満し、同駅にいた乗客が次々に体の不調を訴え、病院へと搬送された。

一方、同列車は、サリンを床に付着させたまま、同日午前八時三分ころ、小伝馬町駅を発車した後、人形町駅、茅場町駅、八丁堀駅に各停車したが、サリン中毒により、茅場町駅及び八丁堀駅において同列車の乗客複数名が倒れ、それぞれ駅員によって保護され、病院へと搬送された。

その後、同列車が八丁堀駅を乗車したころ、乗客の一人が同車両内の非常通報ブザーを鳴らしたため、同日午前八時一〇分ころ同列車は築地駅で停車した。同駅では、サリン中毒により、ホーム上に四、五名の乗客が倒れ、さらに体の不調を訴える者が続出した。

そこで、築地駅で同列車の乗客全員が降車させられ、同列車の運転は中止された。その後、小伝馬町駅及び築地駅では、乗客及び駅員等全員が駅構内から退去するようにとの指令が発せられた。

(三) このようにして地下鉄日比谷線北千住駅発中目黒駅行き列車内で撒布されたサリンにより、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載のとおり、A本竹子(原告A本六男、同A本梅子はその相続人)、B沢春子(原告B沢七男、同B沢夏子はその相続人)、C林八男(原告C林秋子、同C林冬子はその相続人)、D谷九男(原告D谷一江、D谷二江はその相続人)及びE海十男(原告E海一夫、同A沢三江はその相続人)の五名がサリン中毒により死亡したほか、原告B林二夫、同B林四江、同C谷三夫、同D海四夫、同E本五江、同C林五夫、同B谷六夫、同C海六江、同D本七夫、同E沢七江、同A谷八夫、同B海八江、同C本九夫、同D沢十夫及び同D沢九江の一五名がサリン中毒症による傷害を負った(なお、このほかにも死亡者が三名出たほか、多数の者が傷害を負っている。)。

2  地下鉄日比谷線中目黒駅発東武動物公園駅行き列車関係

(一) D原は、平成七年三月二〇日午前六時一五分ころ、被告D田運転の自動車に乗車して地下鉄日比谷線中目黒駅に向かった。途中、D原は、コンビニエンスストアで新聞を購入したうえ、同車内で、サリン入りビニール袋二袋の外袋をハサミで切って取り除き、内袋を取り出してこれを重ね、それを新聞紙で包んだ。

D原は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線中目黒駅前で被告D田運転の右自動車から降り、サリン入りビニール袋二袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅周辺で時間潰しをした後、同駅に入り、中目黒駅午前七時五九分発八両編成の東武動物公園駅行きB七一一T列車の第一車両に乗車し、第一車両のドア付近の座席に着席した。D原は、同列車が中目黒駅を発車すると、間もなく、サリン入りビニール袋二袋を入れた新聞包みを自己の足下に置き、同日午前八時ころ、同列車が恵比寿駅に停車する直前に、これを所携のビニール傘の先で数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、直ちに同駅で降車した。

(二) D原によって新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋二袋が置かれた東武動物公園駅行きB七一一T列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄日比谷線恵比寿駅を発車し、広尾駅、六本木駅に各停車したが、その間、穴の開いたそれらのビニール袋内からサリンが漏出し、それが第一車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がったため、咳き込む乗客が現われた。その後、同列車が神谷町駅に到着するまでに第一車両内において数名の乗客が倒れ、同駅到着後には同列車の乗客五、六名が同駅のホーム上に座り込んだ。同駅では、第一車両の乗客全員が下車し、あるいは他の車両に移動した。

その後、同列車は神谷町駅を発車し、同日午前八時二〇分ころ、霞ヶ関駅に到着したが、同駅では乗客全員が同列車から降車させられ、同列車の運転は中止された。

(三) このようにして地下鉄日比谷線中目黒駅発東武動物公園駅行き列車内で撒布されたサリンにより、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載のとおり、原告B村六子がサリン中毒症による傷害を負った(なお、そのほかにも死亡者が一名出たほか、多数の者が傷害を負っている。)。

3  地下鉄丸ノ内線池袋駅発荻窪駅行き列車関係

(一) E田は、平成七年三月二〇日午前六時ころ、渋谷アジトを出てE原運転の自動車に乗車し、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅前で同車を降りた。E田は、同駅から丸ノ内線、JR埼京線を乗り継いで、同日午前七時ころ、JR池袋駅に到着した。E田は、同駅構内の男性用トイレで、ショルダーバック内からサリンの入ったビニール袋を取り出し、外袋をカッターナイフで破って取り外し、新聞紙でそれを包んでショルダーバック内に収納した。

E田は、同日午前七時四〇分ころ、地下鉄丸ノ内線池袋駅に入り、同駅午前七時四七分発六両編成の荻窪駅行きA七七七列車の第二車両に乗車し、その後、同列車が茗荷谷駅または後楽園駅で停車した際に、第二車両から第三車両への移動した。そして、E田は、混雑している第三車両内で出入口ドアに向かって立ち、ショルダーバック内からサリン入りビニール袋二袋を入れた新聞包みを取り出そうとした際、新聞紙が外れてしまったため、サリン入りのビニール袋二袋をそのまま足下に落下させ、それを近くの座席の方向に移動させ、同日午前八時ころ、同列車が御茶ノ水駅直前付近を走行中、床上にあるそのビニール袋を数回ずつ所携のビニール傘の先で突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて車両内にサリンを撒き、直ちに同列車から降車した。

(二) E田によってサリン入りビニール袋二袋が置かれた荻窪駅行きA七七七列車(折返し後、池袋駅行きB八七七列車)は、同日午前八時ころ、地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅を出発し、淡路町駅、大手町駅、東京駅、銀座駅、新宿駅等の各駅で停車後、同日午前八時二五分ころ、中野坂上駅に到着し、車掌の交替のため、同駅で約五分間停車した。

その間、穴の開いたビニール袋内からサリンが漏出し、第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、同列車が淡路町駅を発車したころから同車両内には刺激臭が漂うようになった。同列車が中野坂上駅に到着するころには、男性の乗客一名が第三車両内の床に倒れ、女性の乗客一名が同車両内の座席にぐったりし、口から泡を出すなどして今にも座席から崩れ落ちそうになった。そのため、同駅駅員は右両名を保護したうえ、同車両内の床の上に置かれていた右ビニール袋二袋を新聞紙で包んで車両内からホーム上に運び出し、次いで、それをビニール袋に入れて同駅事務室に運び込んだ。

その後、同列車は、同日午前八時三〇分ころ、中野坂上駅を発車し、南阿佐ヶ谷駅等を経て、同日午前八時四〇分ころ、荻窪駅に到着した。同駅では、駅員が、第三車両内の床の上に流れ出して床面に付着していたサリンをモップで拭いて同車両内の掃除を行った。

その後、同列車は、同日午前八時四三分ころ、乗客を乗せたうえ、荻窪駅から折り返し、南阿佐ヶ谷駅を経て、同日午前八時四七分ころ、新高円寺駅に到着したが、同駅では乗客全員が降車させられ、同列車の運転は中止された。

(三) このようにして地下鉄丸ノ内線池袋駅発荻窪駅行き列車内で撒布されたサリンにより、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載のとおり、E林一介(原告E林十江、同E林一子はその相続人)がサリン中毒で死亡したほか、原告A海二子、同B本二介及び同B原松子の三名がサリン中毒症による傷害を負った(なお、そのほかにも多数の者が傷害を負っている。)。

4  地下鉄丸ノ内線荻窪駅発池袋駅行き列車関係

(一) 被告D野は、平成七年三月二〇日午前六時ころ、渋谷アジトを出発し、渋谷区内の駐車場から自動車に被告B川を同乗させ、地下鉄丸ノ内線新宿駅に向かった。途中、被告D野が、JR新宿駅付近で新聞配達をしていた者から新聞を一部譲り受けた。そして、被告B川は、被告D野に、同駅付近の道路に右自動車を駐車させ、同車内で、指紋が付かないように両手に手袋をし、右新聞を広げ、その上に、ショルダーバック内から取り出したサリン入りビニール袋二袋を載せ、二重に包装されているビニール袋の外側の袋をハサミで切り取って外し、そのビニール袋二袋を包んだ。

被告B川は、同日午前七時ころ、JR新宿駅西口付近で、変装用のメガネをかけて被告D野運転の右自動車から降り、地下鉄丸ノ内線新宿駅と四ツ谷駅の間の所要時間を確認した後、時間潰しなどし、地下鉄丸ノ内線新宿駅に入り、荻窪駅午前七時三九分発六両編成の池袋駅行きB七〇一列車の第五車両に乗車した。そして、同列車が四谷三丁目駅を発車した後、サリン入りビニール袋が入った新聞包みを自己の足下付近の床上に落下させて置き、同列車が四ツ谷駅に進入するため減速を始めたので、同日午前八時ころ、両手で持った所携のビニール傘の先で、その新聞包みを真上から数回突き刺し、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、直ちに同列車から降車したが、穴が開いたビニール袋は一袋であった。

(二) 被告B川によって新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋二袋が置かれた池袋駅行きB七〇一列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅を発車し、赤坂見附駅、霞ヶ関駅、大手町駅等に各停車し、同日午前八時三〇分、池袋駅に到着した。その間、同列車が四ツ谷駅を発車してから間もなく、穴の開いた一つのビニール袋内からサリンが漏出し、それが第五車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに気化して同車両内に広がった。

その後、同列車は、池袋駅で折返し運転となったが、サリン入りビニール袋が同列車内に放置されたまま、列車番号を「A八〇一」に変更し、新宿駅行きの列車として、同日午前八時三二分ころ、池袋駅を発車し、同日午前八時四二分ころ、本郷三丁目駅に到着した。同駅において、駅員が、第五車両(折返し後は、第二車両となった。)内からサリン入りビニール袋二袋が入った新聞紙の包みを撤去し、その後、駅員が、同車両内のサリンが付着した床面を拭き取った。

同列車は、同日午前八時四四分ころ、本郷三丁目駅を発車し、御茶ノ水駅、東京駅、霞ヶ関駅等を経て、同日午前九時九分、新宿駅に到着し、その後、同列車は、同駅で、折返し運転となり、列車番号が「B九〇一」に変更となって、池袋駅行きの列車として、同日午前九時一三分ころ、新宿駅を発車し、同日午前九時二七分ころ、国会議事堂前駅に到着した後、同駅で乗客全員が降車させられ、同列車の運転は中止された。

(三) このようにして地下鉄丸ノ内線荻窪駅発池袋駅行き列車内で撒布されたサリンにより、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載のとおり、原告D林三介及び同E谷四子の二名がサリン中毒症による傷害を負った(なお、そのほかにも多数の者が傷害を負っている。)。

5  地下鉄千代田線我孫子駅発代々木上原駅行き列車関係

(一) B野秋夫は、同日午前六時少し前ころ、渋谷アジトを出てC山運転の自動車に乗車し、地下鉄千代田線千駄木駅へと向かった。途中、C山は新聞等を入手し、B野秋夫は、同車内でサリン入りビニール袋二袋の外袋をカッターナイフで破って取り外したうえ、新聞紙でそれを包んだ。

その後、B野秋夫は、千駄木駅前でC山運転の右自動車から下車して同駅に入り、千代田線で綾瀬駅や北千住駅へ行って時間潰し等をした後、同駅から、我孫子駅始発で北千住駅午前七時四六分発一〇両編成の代々木上原駅行きA七二五K列車の第一車両に乗車した。そして、同日午前八時ころ、同列車が新御茶ノ水駅に近づき、減速を始めた時、サリン入りビニール袋二袋を入れた新聞包みを自分の足下の床上に落下させて置き、所携のビニール傘の先で、その新聞包みを数回突き刺し、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒いたが、穴が開いたビニール袋は、一袋であった。B野秋夫は、犯行後、直ちに同駅で降車した。

(二) B野秋夫によって新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋二袋が置かれた代々木上原駅行きA七二五K列車は、同日午前八時四分ころ、地下鉄千代田線新御茶ノ水駅を発車し、大手町駅、二重橋前駅、日比谷駅に各停車した後、同日午前八時一二分ころ、霞ヶ関駅に到着したが、その間、第一車両内の床に置かれたサリン入りビニール袋内からサリンが同車両の床に流出し、それが気化したため、日比谷駅近くになってから、サリンの影響により咳き込む乗客が出てきた。

霞ヶ関駅では、異物があるという乗客の通報により、同駅のA川四介助役が、第一車両内からサリン入りビニール袋が入った新聞紙の包みを白手袋着用の両手で持って、それをホーム上に運び出して置いた。その後、サリン入りビニール袋は、同駅駅員らによって同駅事務室に運ばれた。A川らの駅員は、不要の新聞紙を使って、サリンが流れて付着している同駅ホームの床を拭くなどして清掃をしたが、A川はサリン中毒によって同ホーム上に倒れ込み、その後もサリン中毒により同駅駅員が相次いで倒れた。

一方、同列車は、約二分遅れて、同日午前八時一四分ころ、霞ヶ関駅を発車し、同日午前八時一六分ころ、国会議事堂前駅に到着したが、同駅では同列車の乗客全員が降車させられ、同列車の運転は中止された。

(三) このようにして、地下鉄千代田線我孫子駅発代々木上原駅行き列車内で撒布されたサリンにより、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載のとおり、前記A林四介助役(原告A川花子、同A川五子、同A川五介、同A川六介はその相続人)がサリン中毒で死亡したほか、原告A村七介がサリン中毒症による傷害を負った(なお、そのほかにも死亡者が一名出たほか、多数の者が傷害を負っている。)。

6  以上のとおり、D川一郎、D原、E田、被告B川及びB野秋夫によって撒布されたサリンによって、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」中の「被害状況」欄記載の被害者を含む多数の乗客ないし駅員が死亡し、あるいは傷害を負うに至った。本件事件の被害者は死者一二名、重軽傷者約五〇〇〇名にのぼった。

六  犯行後の状況

1  渋谷アジトへの帰還

各地下鉄路線にサリンを撒布し終えた実行役と運転手役の信者らは、平成七年三月二〇日午前九時前後、順次渋谷アジトへと戻った。渋谷アジトには、既に被告C田が上九一色村から戻ってきていた。

同日午前一一時ころ、渋谷アジトに集合していた信者らは解散し、上九一色村へと戻る者、犯行に使用した傘などを焼却しに出かける者などに分かれて行動することとなった。

2  解散後の行動

(一) 被告C田、C山、D川一郎及び被告A山は、教団信者の運転する自動車で多摩川の河川敷へと赴き、犯行時に使用した服や傘を焼却した。

(二) E田、D原、被告B川及びE原は、渋谷アジトを出て上九一色村へと向かい、平成七年三月二〇日午後二時ころ、上九一色村に到着した。

同日午後五時ころ、C川は、D原、E田及び被告B川を伴って、地下鉄サリン事件の報告をするために第六サティアンにあるA野の自室へと赴いた。A野は、同事件の報告を受けて、科学技術省の者にやらせると結果が出るなどと述べ、「ポア」は成功した、シヴァ神やすべての真理勝者方も喜んでいるなどと述べた。次いで、D原、E田、被告B川が順に犯行について報告した。A野は、右三名に対し「偉大なるグル、シヴァ大神、すべての真理勝者方にポアしてもらってよかったね。」というマントラを唱えるよう指示した。

(三) 被告A山、C山及びD川一郎は、右同日午後六時ころ、第六サティアンのA野の自室に赴き、A野に対し、地下鉄サリン事件の報告をした。A野は、右三名の信者らに対し、ねぎらいの言葉をかけ、D原、E田、被告B川らに指示したのと同様のマントラを唱えるよう指示した。そして、A野は、右三名の信者らに対し、おはぎとジュースを「修法」と称する儀式を施したうえで与えた。

(四) B野秋夫は、右同日午後九時ころ、上九一色村に到着した。同日午後一〇時ころ、A野からの呼出しの連絡を受けたB野秋夫は、第六サティアンのA野の自室へと赴いた。B野秋夫は、A野に対し、「今さっき戻りました。やってきました。」と述べ、地下鉄にサリンを撒布したことを報告した。それに対し、A野はうなずいて「そうか。」と述べ、サリンの原料の隠匿を手伝うよう指示した。また、A野は、B野秋夫に対しても、D原、E田、被告B川らに指示したのと同様のマントラを唱えるよう指示した。

七  教団に対する解散命令及び破産宣告

1  解散命令

平成七年一〇月三〇日、教団は、東京地方裁判所から宗教法人法に基づく解散命令を受けた。

2  破産宣告

平成八年三月二八日、教団は、東京地方裁判所から破産宣告を受けた。

第五被告らの責任

一  右に認定したとおり、本件事件は、A野を首謀者として、被告らを含む多数の教団信者らの共謀によって遂行され、平日の通勤時間帯に、東京都内を走る地下鉄の複数の列車内において、一斉にサリンを発散させ、乗客、駅員ら一二名を殺害し、多数の者に重軽傷を負わせたものであって、右認定の事実に照らしても、被告らの行為が民法七一九条一項前段の共同不法行為に当たることは明白である。したがって、被告らは、原告らに生じた損害について連帯して賠償する責任を負う。

二  なお、被告D野は、サリン撒布の共謀を否認し、被害者に対する殺意を争っている。

しかし、既に認定したとおり、本件事件は、A野を首謀者として、多数の教団信者らが、犯行場所、日時、方法、逃走手段、役割の分担等につき綿密な謀議を重ね、犯行に用いる自動車の調達、現場の下見、変装用衣類の購入をするなど、周到な準備をしたうえ、それぞれの役割を果たした組織的、計画的犯行であるところ、被告D野は、A野の指示により被告B川の運転手役として指名され、平成七年三月一九日午後九時ころまでに渋谷アジトに集合し、その席での謀議に加わり、本件事件の実行に当たっては、被告B川の運転手役を担当したことは明らかである。そして、右アジトにおいては、実行役と運転手役の信者がサリンを撒布すべく、犯行の具体的な内容について、謀議をしたものであり、《証拠省略》に照らすと、当時教団内においては、A野の説法などによって、サリンが殺傷力を有する毒ガスであることが多くの信者達の間で周知されていたと認められることも併せ考慮すると、教団信者であり、実際に本件事件に運転手役として関与した被告D野については、特段の反証のない限り、サリンが殺傷力を有する毒ガスであることを知り、教団信者らがサリンを地下鉄に撒布することを認識したうえで、本件事件の共謀に加わったものと推認するのが相当である。

そうであるとすれば、本件においては、右のような特段の反証は存しないから、前記被告D野の行為は、民法七一九条一項前段の共同不法行為に当たるものと認めるのが相当である。

三  その余の被告らの主張についても、右認定事実に反する部分は採用することはできない。

第六原告らの損害

一  《証拠省略》によれば、本件事件によって原告らが被った損害及びその額は、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」記載のとおりであると認められる。

なお、提出された証拠によれば、右別紙を上回る損害の認められる原告らもいるが、その場合には、主張の限度で損害額を認定した。

また、積極損害のうち、死亡した被害者の葬儀費用については、本件事件の特殊性を考慮したうえ、被害者の収入地位等に照らして相当な範囲の額を本件事件と相当因果関係のある損害として認めるものとしたが、民事交通事故訴訟での損害賠償算定基準における成年者の葬儀費用相当額が一二〇万円であることや、後記のとおり、死亡慰謝料額について、通常の場合に比べ大幅に上回る額を認定していることも考慮して、各人につき、その主張する額について、三〇〇万円を限度として認めるものとした(なお、原告A本六男、同A本梅子の請求分については、葬儀費用のうちに含まれている墓碑建立費用は、これを別途損害として認めた。)。

また、本件事件による被害による慰謝料の額については、原告らの主張は、通常の損害賠償事件における慰謝料額を大幅に上回っているが、後述するような本件事件の特殊性を考慮し、原告らの主張する慰謝料額を、いずれも相当な慰謝料額の範囲内の額として認めた。

二  本件事案の特殊性に鑑み、慰謝料の額について付言する。

1  本件事件は、教団の絶対的権力者であったA野が首謀者となって、被告らを含む多数の信者らによって組織的に敢行された未曽有の無差別大量殺人・殺人未遂事件である。また、本件事件は、サリンという猛毒の神経ガスを用い、地下鉄という公共交通機関を対象として敢行された無差別テロ事件であって、我が国犯罪史上類例を見ない、極めて凶悪で非人道的な犯行である。

2  A野らが本件事件を実行しようとした動機は、数々の犯罪行為を重ねてきた教団に対する警察の強制捜査が間近いと考えたことから、地下鉄にサリンを撒布し首都中心部に大混乱を引き起こして警察を攪乱することにより強制捜査を回避しようとしたという点にあるが、このような動機は、極めて稚拙で、短絡的であるばかりでなく、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人はどうなろうとも構わないという、自己中心的なものと言うほかなく、厳しい非難に値するものと言わなければならない。

3  本件事件によってもたらされた惨禍は、死者一二名、重軽傷者約五〇〇〇人という甚大なものであって、社会に与えた衝撃も計り知れない。本件事件の被害者らは、地下鉄を利用していた一般乗客あるいは駅員であって、およそ危険とは無縁なはずの日々通勤する列車内あるいは勤務場所において、何ら落ち度もないのに、まったく予期されない形で、一瞬にして死を招来するほど殺傷力の強い毒ガスに襲われた恐怖感は察するに余りあるものがある。本件訴訟の原告らは、本件事件の被害者ないしその遺族であるが、本件事件によってまったく想像だにできない経過で帰らぬ人となった被害者の無念さ、尊い家族を失った遺族の悲しみや憤りはたとえようもないほど深いものであること、また、幸いにして一命を取り留めた者についても、重篤な後遺症によって治癒の見込みさえ立たない者や、今なお肉体的、精神的後遺症に悩まされている者が少なくないことは、原告A川花子、同B原八介各本人尋問の結果をはじめ、本件訴訟に顕れた関係各証拠からも明らかである。

4  これに対し、被告らは、原告らの損害を填補し、精神的苦痛を慰謝する措置を特段講じておらず、原告らが教団の破産による破産手続を通じて受領した配当額も、原告らの損害全体を填補するには到底足りない状況にある。

5  以上に述べたところによれば、別紙六「損害の内訳(当裁判所の認定した額)」記載の慰謝料の額は、原告らの精神的苦痛を慰謝する額としては決して過大なものではないと考えるのが相当である。

第七結論

以上によれば、原告らの請求はすべて理由があるからこれを認容することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西岡清一郎 裁判官 金子修 武藤貴明)

<以下省略>

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